ふと、「やさしい方」たちについて書かなければと思い立ちました、そうでした。
「やさしい方」と呼ぶ言葉よりもっと合う言葉があったようだったら、どうかお許しを。
現在の私の頭では、この「やさしい方」と呼ぶ言葉が、皆さんへの一番の賛辞であるのです。
一見、関連のない話をしますが、私は普段、下を向いて歩くことが多いです。
よく指摘されるのですが、そこにはとても深い事情があります。
理由はおそらく、普通に顔を上げていられるほど、体力と自信が充分にないから。
ここまで書けばお分かりでしょうが、私の本質の一部をよく表しているのです。
だからこそ、「やさしい方」たちに対して、実は泣くほど嬉しい。
そういえば、「やさしい方」の意味に、触れていなかったですね。
答えはとても簡単、「応援してくれる方」です。
精神的な事情で風変わりなこともあり、私は反応や応援が何倍もいただきにくいようです。
私は自信が「持っても比較的すぐに、持てなくなるもの」として、育ってきてしまいました。
親が原因ではないので、ここは明記しておきますが……。
だからこそ、「やさしい方」たちに対して、おそらく独特の、
とても深い感謝を持っているのではないかと。
ただ、私自身がとても感じているのですが、「やさしい方」たちへの
感謝って、意外と本来必要な分、持ち切れていないことがあるのです。
理由はおそらく、「人間」と呼ばれる存在の性質ではないかと、
ぼんやりですが、考えています。
とくに私は調子の大波の影響をとても受けますので、
今回もこうして、書きたくなったのでしょう。
定期的に書いてきてはいるのですが、私の場合は、それでも足りないような気がするのかと。
反応や応援が何倍もいただきにくい影響が、考えられますね。
「やさしい方」たち、すでに何回も書いているのですが、本当にありがとうございます。
何回もこうしているのは、今まで書いてきた事情があったのです。
音楽活動も含めた私の創作活動が滑らかに進んでいるのも、皆さんを前提としてのことです。
「時間の経過」という、とても大きな壁がありますが、
現在からまた、着実に積み重ねていくことを、実現させていきます。
そう大きなことは書くのですが、調子の大波の影響は本当に大きいですよね。
だからこそ、(石橋を叩いて壊すことにならないようにですが、)うまく調整しながら、です。
今回のような感謝はまた何回も書くでしょうが、どうかお許しを。