バラの咲く季節になってきました。
二つの場所で、あるバラ自体とともに、
本当に詳しい情報を掲載してあって、その心意気にとても感動します。
私は学者の知るような、マニアックな情報を知ることが大好きです。
なんでもではないですが、必要があれば、私自身が調べます。
音楽活動も含めた創作活動では、作るために情報を調べなければいけない時があります。
労力がとても必要であるので、
本当に詳しい情報まで調べ上げる心意気に、とても感動するのです。
情報技術の発達した現在、私たちはなおさら手軽に、調べることができるようになりました。
それでも、情報が一気に増え過ぎたせいか、
工夫しなければいけないのは、変わらないようです。
ここで、ふと周りを見渡してみたとして、細かく分けると、
数え切れないくらいのものが視界に映ることが、多いでしょう。
その一つ一つに学者などの専門家がいて、マニアックな情報がいろいろと存在するのです。
私にとって、夢がなくなったように見えて、とても夢のある様子に感じます。
なんでも知る必要はないですが、私にはまだまだ知らないことがあるなと、驚かされます。
だからこそ、工夫して調べる方法に、話が戻ってくるのです。
あくまで個人的な考えですが、まず根本的に、調べる癖をつけます。
小さな生物のように、ものをよく観察する癖も、つけましょう。
次に、自己分析をするかのように、
調べるキーワードをとても細かく設定できるようにします。
調べる癖・観察する癖・キーワードを細かく設定すること。
これらは意外と浸透していないらしく、私が「調べ過ぎ」とされたり、
相手がまた別の相手に「調べてね」とされたりするのが多いです。
私も「奇想」とされやすいのですが、
奇想の芸術家、またはクリエイターには、調べる方法も含め、
興味の持ち方に一癖あることが多いです。
私が知る側としても、その事実を聞いたので、少なくとも「有力」ではあります。
最後に、「必要があれば、私自身が調べます」と、最初の方に書いた
その「方法」を具体的に、明かしてみることにします。
まず、基本的に、気になったらできる時は、すぐに調べます。
私には調べる能力があるらしく、変なところまでたどり着いてしまうことが結構あります。
キーワードを細かく設定することについては、ここで伝わるでしょう。
調べる癖の範囲については、たとえば、花がある種類に属しているかを知るためだけに、
お店に頼んで、買った花に書いてあった生産者さんのところへ、直接聞いてもらったことが。
観察する癖の範囲についても、普段見ないようなところにも興味を持つので、
好み自体が風変わりなことが、少なくないみたいです。
以上ですが、だからこそ、私も「奇想」とされやすいのでしょうね。