一年前、作品にしようとして、ならなかった題材がありました。
その作品では作風を普遍的にしようと考えていたのですが、
発想の技量が達していなくて、あまりにも普遍的にできなかったのです。
一年経った最近、調べ直してみた結果、普遍的な題材に変換できることが分かりました。
変換できると判断できるほどに、発想の技量が達したこともあります。
私の場合は、ぜひ普遍的にしなくてもいいとなるかもしれません。
先ほど「あまりにも」の言葉をつかったとおり、
自分のとても強いこだわりから、そう判断したのです。
こうして、一年経った最近、作品にならなかった題材へ
再挑戦するチャンスが、巡ってきました。
その題材が作品にならなかったことは、
私の人生の変わり目とみなしても、過言ではない出来事でした。
今回もなんらかの意味での、変わり目だと感じています。
前の記事で、私は自分の音楽活動の「見つめ直し」をしました。
なぜかは分かりませんが、今回の変わり目も、そこにつながりました。
前の記事で、私の創作活動がなんらかの形で滑らかに進んでいる証と、
考えられるのかもしれないと見つめ直しの結果が出ましたが、
今回もそれが、当てはまりそうです。
こうできたきっかけは、「変換できると判断できるほどに、発想の技量が達して、
自分の目標に合わせて変換できるようになったこと」です。
「変換」と「発想の技量」は、創作活動全体で、とても大事です。
当たり前かもしれませんが、ここで初心に戻ったつもりで、私もあらためて、噛み締めます。
ほかにも、一年前と違う手がかり(ヒント)がたまたまそろっていて、
それらがまた偶然、作品にならなかった題材へ再挑戦するのに、合っていたこともあります。
この出来事に対しては、分解できる複数の手がかり(ヒント)を一度細かくして、
ちぐはぐにするかのように、違う組み合わせにして、適性を試す処理を、さらにしました。
どうなるかは本当に分かりませんが、私の人生の変わり目や、
私の創作活動がなんらかの形で滑らかに進んでいる証とは、なりそうです。
ただ、私自身の状態は、とくに何も変わりないように感じられるのです。
とても不思議ですね。